ラジオは話し相手【星野源 RADIPEDIA 2012年2月22日】

※前に書いた記事を部分的に切り取って独立させただけの内容です。

◆コミュニケーションがバァーっと繋がる瞬間

ラジオは話しかけてくれる、話し相手になってくれるというリスナーのメール。

星野:分かるなぁ。話し相手だな、俺も。コミュニケーションをとる相手がいない時の…あの、何だろね、テレビって絶対そうならないすよね。やっぱラジオって距離感が近いと思えるからかもしれないけど、なにかこう自分だけに話してくれてるような感じもするし。自分が手紙を書いたり、僕ん時は手紙・ハガキ、FAXもあったけど、自分の送ったものが読まれた時の喜び、みたいな。で、僕今みたいにツイッターとか無いから、ハガキとか読まれた時に誰にも言えないわけですよ。今は例えばツイッターとかでね「読まれたー!」とか言う人たぶんいると思うんだけど当時は全然無いから。その「読まれたー!」っていうのって果たしてそれって…いや全然いいんだけど、嬉しいし共有できていいんだろうけど、俺のあの時の喜びよりたぶん低いだろうなぁみたいな、気がする。もったいないな、それ出しちゃうの。なんか、すぐ共有しちゃっていいの?みたいな。僕は『コサキン』もずっと聴いてたし『東京RADIO CLUB』岸谷五朗さんの聴いてて、もうずーっと好きで聴いてて読まれてほんっと嬉しいっていうのだけ誰にも言えなかったんですよ!親ぐらいにしか。誰とも共有できないで十何年きて、で、漫画家の『日常』っていう僕が大好きな漫画のあらゐけいいちさんと初めてお会いして話した時に「僕、東京RADIO CLUB聴いてたんですよ」「僕もですよ!」そこで初めて十何年の止まったコミュニケーションがバァーっと繋がる瞬間みたいな。それが凄く嬉しいし楽しくてですね。そういうのも醍醐味じゃないかなと。

テレビにはない、ラジオならではの距離感の近さ。
投稿が採用された喜びを「すぐ共有しちゃっていいの?」
これは別にツイッターで「読まれたー!」って言う人を否定してるわけじゃないんです。
説明難しいけどなぁ…
その人の環境とか、思春期に身近にネットやツイッターがあった時代か無かった時代かで基本的な楽しみ方のスタンスが違うというのもあるのかな。
今はオープンな楽しみ方になってるとも言えます。
まぁ、どういう形でも楽しめればいいんですよ!
星野源の言う“十何年の止まったコミュニケーションがバァーっと繋がる瞬間”っていい表現ですね。
それまで誰とも共有できなかった分、溜まりに溜まった喜び、その感動が凄く伝わってくる。

そんなラジオと星野源のエピソードでした。