柳原可奈子のワンダフルナイト 2014/10/5

柳原可奈子のワンダフルナイト 2014年10月5日放送】

出演:柳原可奈子

 
 
単独ライブ『普通の女』を終えて。

今回ほんとにライブ全部通してやってみて、コントを作ることに関してももの凄くワクワクして、凄い楽しかったし、なんて言ったらいいんだろうなぁ?デビューしたての時というか、決定的に何かこう違うものがですね…なんて言ったらいいのかな?始めた頃の時って…自分も、自分というものもそんなにこういうふうに、若いからね、あんまり無かったから。役がね、グワワワンとこう急に入ってきて、ポンっと本番が始まったら、急にグワンとこうネタが始まって、グワンと終わるっていうか。まあ何かこう、憑依と言ったら「そんなもんはねえよ!」っていうふうにね、思うんですけどね、今になって言ったら。「全然そんなもんはねえよ」って思うんですけど。なんつったらいいのかな?私のようで私じゃない時間みたいな。一瞬記憶がないっていうかね、ボワン…みたいな状態だったんですよ、昔は。

 

だけどすごい、今改めてコントくんと遊んでみてね、なじみのコントくんと遊んでみるとねぇ、非常にねぇ、1個1個の作業とかを練習しないと覚えないんだなってことをね、ちょっとずつね、図太くなってくるとね、分かるわけですよ。「あ、こういうふうに練習しないとここで忘れちゃうし、こういうふうにセリフと動きを一緒に覚えたら覚えていられるんだ」っていう、単純な作業が分かってくるっていうか。「あっ、ここは忘れがちなんだな」とか、冷静に分かってきた。「ここは忘れちゃう部分なんだなぁ。気をつけよっ」とか。なんかそういうのが分かってくると、記憶がある状態でやってるからさ、「ここ笑ってくれた!嬉しい~」とかさ、「そうそう、私もここ好きでさ、作ったんだよねぇ」みたいな、1個1個こう変な話答え合わせみたいな言い方は失礼かもしれないけど、そういうふうな感覚を非常におぼえて。より楽しめましたね。なんというか、気持ちのいい「あっ、なんか笑ってくれた~。嬉しい~」っていう、ほんとに子どもの時の感覚に戻ったじゃないけど。

 

そんでもってちょっとしたさ、なんていうの?可憐な少女の時にない図太さをさ、持ってるもんだからさ、例えば周りの人がさ、「もっとこここうしたらいいんじゃない?」とか言ってもさ、軽く突っぱねれる心があるわけよ(笑)だからよりさ、自分のネタがさ…そうそうそう、逸ノ城逸ノ城!風呂上がりのあたし(笑)よりさ、突っぱねれるからさ、もう過保護な過保護な子どもになるわけよ、自分の作ってるものが。「あぁそうかな?もっとこうした方がいいのかなぁ?あの人がああ言ってるし」みたいのは無いの。「あたしね、こっちの方が絶対おもしろいと思う!」みたいな(笑)いや、おもしろいよ、人生1年でも2年でも多く生きてみるとね、おんもしろいよぉ!あのねぇ、それはすっごい感じた。「わたしはね、ここでこういうふうにやった方がね、ぜぇったいおもしろいと思う!」みたいな、変な図太さがね、備わってくるもんだから。なんかね、すごい生きやすくなったなというのを如実に感じたここ数年、ていうね、こういうふうに改めて1個区切りがあると、日常生きてるとね、いいもんだなあというのをすごく感じました。

 大まかに、すごく大まかに言えば自身の納得する柳原可奈子の創る世界が本当の意味で確立されたってことかと思います。

デビュー当時はネタ中、意識の中にはなりきっているキャラだけでいっぱいになってしまって自分が入り込む余裕が無かった。なので「憑依」「私のようで私じゃない時間」になって記憶も無かったのかなと。

それが年齢と経験を重ね、自信にも裏打ちされているであろう“図太さ”を備えた今、ネタ中でも演じるキャラと自分という2つの意識・目線が同居できるようになり、素の自分の意識があることで主観も客観も感じられ、観客の反応という「答え合わせ」の楽しみも増えた。

他人の意見に左右されない、やりたいことをやる“図太さ”を手に入れることで生きやすさも得られた。

人生1年でも2年でも多く生きてみるとね、おんもしろいよぉ!」だそうです。

今後ますますやりたい放題の柳原可奈子ワールドが展開されていくのではないでしょうか。

 

 

ところで作りこんだコントを演る人はテレビよりライブでこそ輝くと思うのですが、売れてしまうとその真価が発揮される場がほぼ年に1回あるかないかという現状が惜しくてなりません。

このライブも映像ソフト化はしないそうなので、ビジネス的にもそうそうゴーサインが出るとは思えず…。

………ライブ観に行ってないんですけどね!

 

 

これ以上は構造的な問題とかなんとか論になって面倒くさいので以上!